よみもの館

写真準備中

　今回はトカラ列島の紀行。すでに４年前のお話しですが、この頃はまだ誰も注目していなかった土地です。最近は秘湯ブームで、テレビや本などでも大きく取り上げられるようになりました。
　でも、わたしは日本最後の楽園であるこの島々が今も変わり無く輝いていることを願っています。
　余談ですが私が『新ハイキング』誌に投稿したあと、新ハイキングでは富田弘平氏の一行が訪れたようですが、果たしてわたしの記事が影響したのかどうかは定かではありません(^_^)。いつか機会があればお話を伺いたいですね(^^)。

遥かなる島々への山旅
　　　　　　～トカラ列島

『新ハイキング』92年３月号

　トカラ、この奇異な３文字を初めて目にしたのはいつの事だったであろうか。いつのまにか私の頭の片隅にとろとろと深く沈澱し、明るいところへ出る機会をじっと伺っていたようだ。
　日本地図を開くと大隅半島から台湾まで、弓形に連なる南西諸島が目に入る。目はするするとリゾート沖縄を中心に西表島と奄美大島の間で振り子運動をする。山屋ならばいったん北の方に振れるともうもどってこない。屋久島があるからだ。
　トカラ列島を形づくる十の火山島は、これらの隙間で忘れられたようにひっそりと眠っている。でもそこには溢れるほどの湯をまんまんとたたえた温泉、手垢のついていない山、そして島の翁が「本当の」という人々のくらしがあった。

憧憬のトカラ列島へ

　トカラ列島は鹿児島県鹿児島郡十島村に属している。村といっても最北端の口之島から最南端の横当島まで長さ１６２ｋｍもあるので、村役場は交通の便の良い鹿児島市内におかれ、生活物資のすべてがこの鹿児島から月８便運行される村営船「としま」によって各島々へ届けられるのである。
　当然、島へ渡る唯一の手段がこの「としま」だ。「としま」は鹿児島港を出発すると、翌日、人の住んでいる７つの島を巡り、奄美大島の名瀬に着く。さらに翌日、再び北を目指して各島に寄って鹿児島に戻ってくる。この名瀬往復の便と、途中の宝島で折り返す便の２種類があり、これらを上手く利用すれば、２週間ほどで４つ位の島々に上陸することができるのだ。
　２月の末、私は川崎からフェリーと列車を乗り継ぎ、鹿児島港に降り立った。トカラ列島航路の桟橋は殺風景だった。倉庫のような建物があって「十島村」という看板が架かっているだけ。隣の屋久島航路のようなデコデコした観光の雰囲気はない。その倉庫の片隅で「としま」の切符がひっそりと売られていた。椅子を並べただけの待合室には、予想に反してごっついザックを背負った学生とおぼしき連中が右往左往している。どうやらその筋の人たちにはしっかりとトカラの情報は伝わっているらしい。でも、山が目当てではないようでなんだかほっとする。悪石島までの切符を買って「としま」に乗り込む。
　鹿児島港を定刻の午後１０時に出航した「としま」は、翌朝４時にトカラ列島の玄関口である口之島に寄港した。眠い目を擦りながらデッキの上に出ると、深い闇を切り裂く桟橋の光が見えるだけ。漆黒の闇は島影さえ消し去っている。次の中之島には６時に到着。トカラ列島の最高峰である御岳(９７９ｍ)が蒼い光の中にその姿をうっすらと見せていた。船はだんだん荒れ気味になっていく海に幾分弄ばれそうになりながら、火の島諏訪之瀬島に近づく。怪異に伸びる頂上岩峰が、明けてきた曇天の空の中に不気味に映えていた。

ボゼの住む島・悪石島

　最初に上陸する島は悪石島である。なんだか怪しげな名前が良かったし、島の中央に御岳という標高こそ５８２ｍと低いが、面白そうな山がある。そして温泉マーク。
　午前１０時３０分、ようやく悪石島に到着した。「としま」が岸壁に近づくと、島の人たちがつぎつぎと集まってくる。「としま」の入港は島の一大行事とでもいうべきほど重要な出来事で、島の男達は皆、荷降ろしの手伝いのために港へ集まるという。場違いな派手目のザックを背負った私は、岸壁の上でしばし呆然。すぐに民宿坂元荘の親父さんに声を掛けられて我に帰る。
　「としま」の出航を見送り、軽自動車の荷台に乗っかり、車は岸壁からいきなり突き上げる急な坂道をあがっていく。僅かな平地には島の重要な産業の一つである黒牛の放牧が行われていた。島に牛というのもなんだか妙な取り合わせであるが、口之島では逃げた牛が野生化し、日本で唯一の野生牛になっているという。
　北海道のような景色の中を進むと照葉樹林に囲われたいかにも南国風の村落に着いた。４０人ほどが暮らす村はひっそりとしているが暗くはない。民宿の女将さんは明るい人で、ちょうど今は年に４回の正月の一つにあたっていて、神事の世話であまりもてなしができないと謝っていた。
　悪石島では１月の人間の正月に加えて、神様の正月、水神の正月など年に４回も正月があるそうだ。悪石島の人々は日本古来の天照大神信仰が非常に厚く、すべての行事が島に数カ所ある神社を中心に行われている。この日はこの神社の一つで、神様の正月が行われていた。
　昼食後、早速御岳(５１２ｍ)に登ってみる事にする。宿の女将さんに聞くと、御岳にはすでに登山道路が出来ており頂上には見事なマイクロ中継所があるということだ。なにせ、２０年前の２万５千図しかないという乏しい情報だけでやってきたのだからしかたない。２０年前の地図には登山道さえなかったのだ。
　登山道路は港のそばから分岐しているので、そこまで車に乗せて貰い、分岐から１時間ほどかかって頂上まで歩いた。頂上付近の展望はよいが、真の三角点は竹薮の中。　風が強いので少し道路をもどり、地元の人がボゼ山という地図上の中岳(４４３ｍ)の裏を回る林道へ入ってみる事にした。ボゼとは仮面神のことで、毎年お盆にはポリネシア風の異様な格好をした仮面を被って踊るのだそうだ。
　林道には野生のヤギの糞が沢山落ちていた。島の人たちはこのヤギを網で捕まえて食べたり、本土へ出荷したりする。道は樹林に囲まれた中を縫っていて展望は悪い。ボゼ山への登路を探すが、密生する竹のためにとても人が入り込める余地はない。しかたなく展望のいいというノンゼ岬の方へ行く。岩礁の散りばめられたノンゼ岬は確かに一級の眺めだ、目の前には気になる諏訪之瀬島がある。
　夕食後、島の露天風呂へ入りにいく。海際に湧き出る温泉は島の人たちの憩いの場で、内湯と露天風呂、それに砂風呂まである。砂風呂の後ろには蒸気を吹き上げるジコクがあり硫黄がたくさん採れる。
　露天風呂のなかで波の音を聞きながら、ゴクゴクと喉を鳴らして飲むビールはこたえられなかった。

地球の溜め息が聞ける島・諏訪之瀬島

　いよいよ、憧れの諏訪之瀬島へ渡る。諏訪之瀬島は紡錘状の形をした東西５キロ南北９ｋｍの島で、南端のごく狭い平地に４０人ほどが住んでいるだけで、ほかは全く人の手が入っていない原始の島だ。諏訪之瀬島の大部分を占める最高峰の御岳(７９９ｍ)は、日本でも随一の活動的な火山であるが、地理的な理由でほとんど話題になることがない。それだけに、秘めたる魅力に溢れている。
　島に上陸すると民宿の息子さんにさっそく山の様子を聞いてみる。悪石島のような道路があったのではたまらないからだ。幸い森林限界まで最近整備した登山道があるだけで、あとは道らしい道はないという。もっとも森林限界より上は溶岩が覆っているので何処を歩いても同じだそうだ。
　残念な事に翌日は雨で一日停滞。次の３月５日は上々の天気。はやる気持ちを抑えながら朝食をかき込み、途中に水場が全く無いのでたっぷり２㍑の水をポリタンに詰めて出発。開拓の歴史を物語るような、竹林の中の廃屋を横目に入れながら御岳に向けて村落を貫く道を歩いていく。黒牛の放牧場に出るとまもなく登山口を示す看板が立っていた。その先には牛の逃亡を防ぐ柵が立ち塞がっているが、人間なら簡単に開けることができる。
　取り付きからしばらくは樹林帯の階段状の道を行く。この階段も最近作ったらしく、土止め用のプラスチック製の木が新しい。運送費用などの面からプラスチックにしたのだろうが、ビブラムにはすべり易く趣もない。
　しかし、そんな道も森林限界点に達すると示し合わせたようにぷっつりとなくなった。あとはただ、御岳の大斜面が圧倒的な大きさをもって立ちはだかっているだけだ。ここからは指導標も赤ペンキも全くない。
　カラカラと音を立てる溶岩の斜面を、見事な円錐を形どった緑なす側火山や村を背にグイグイ登っていくと、斜面が切れたところが御岳から背骨のように伸びる尾根の上である。西風が急に吹き付けてくる。目を落とすと赤茶色の溶岩が構成する西海岸の荒々しい姿が望め、目を上げれば御岳の山頂の不気味なまるで中世の城のような煙突状岩峰(チムニー)がじっとこちらを睨んでいる。時折かかる雲が一層チムニーの凄みを増していた。
　尾根上は累々と重なる溶岩のために、良く考えて歩かないとすぐ行き止まりになってしまい、それに両側は急斜面でかなりの高度感を感じる。森林限界から１時間ほどで古岳火口の真上に達した。１００ｍの絶壁を介して望む古岳の火口の中には、茶色の水がスープのようにトロっと溜まっていた。
　尾根はここで終わり、御岳山頂直下の斜面となる。一旦小さな鞍部まで降りて、斜面に取り付いてみると、何度も流下した溶岩流の残骸が視界を遮り、山頂への見通しはほとんど効かない。半ば勘に頼りながら１時間かかってようやく外輪山山頂に到着。
　とたん、まるでジェット機が耳元で唸っているような、すさまじい轟音が襲ってきた。一瞬、噴火かと思い足が硬直するが、よく聞くとどうやら水蒸気の噴出する音らしい。
　音のするカルデラの中は、ちょうどコップにドライアイスを満たしたように雲が入り込んでいて何も見えない。とりあえず「村落へ」という粗末な指導標をバックに記念写真を撮ると、カルデラ縁から突き出るチムニーへと向かった。
　チムニーの高さはおよそ６ｍくらいであろうか。小さな割れ目から100℃くらいの蒸気が吹き出ていた。できるならカルデラ縁に沿って島の北部に聳える秀峰、富立岳にまで行く事を目標としていた私は、このチムニーをなんとか越えなければならない。チムニーの基部は火山灰の堆積した上に雨裂が発達して歩きにくく、さらに反対側は崖となって谷へ続いている。慎重にトラバースを敢行する。
　ブーツの中に砂をたくさん詰め込んでようやくチムニーをやり過ごすと、カルデラ縁が青空の中にくっきりと弧を描いていた。弧の先にはヤギの耳のような形をした特徴的な７１２ｍ峰が聳え、西の斜面は複雑な曲線を絡み合わせて海へとなだれ込んでいる。
　なおもカルデラ縁に忠実に足を運ぶと、カルデラ内部の雲はヤギノ耳に近づくにつれて薄くなり、少しずつその全貌を露にしてきた。中央火口丘を取り囲むオーバーハング状にせりだした垂直２００ｍの断崖。北東側のカルデラ壁は完全に崩れさり、黒色の溶岩流が海中へと流れ込んでいて、海岸の僅かな部分だけが緑のベルトに被われていた。
　中央火口丘からは間欠的に白いきのこ雲が盛り上がり、それとともに轟音はますます大きくなる。火口丘の周辺には白い硫黄がまるでお花畑のように散在し、温泉が湧き出しているらしくあちらこちらから湯気が立っていた。
　ヤギノ耳山頂に到着すると、遥か彼方に険しい崖を巡らした富立岳が姿を見せた。地図で想像した通り、スックリと立ち上がった独立峰的な秀峰だ。御岳に比べ潅木に覆われているらしく緑も濃い。だが遠い。カルデラ縁に沿って行けないことも無いが、どうみても一日行程ではない。幕営の準備をしてこなかったので今回は諦めるしかない。
　あるいはたぶん未踏峰かもしれない富立岳を眺めながら、地球の溜め息をバックミュージックに、ヤギノ耳の山頂で贅沢な昼食とした。
　帰路は往路を忠実に辿ったが、途中ガスに巻かれて冷や汗を掻いた。自分の足跡だけを頼りに進むというシビアな状況になったが、標高が下がるにつれてなんとかガスの外へ脱することができ、無事に宿に辿り着いた。
　翌日は雲一つ無い快晴。次の船が来るまであと１日あったので再度別のルートから登ってみる事にした。幸い民宿の息子さんがカンパチを釣りに船を出すというので、それに同乗して途中の適当な海岸で降ろしてもらう事にした。
　高い波を砕きながら船は東側から島を一周してくれた。途中の作地には温泉が湧いていて、小さな小屋掛けの風呂がある。この温泉へは陸上からは全く近づけず、船で行くしかない本当の秘湯だ。波の穏やかな時ならば上陸できるそうだが、残念ながらこの日はダメだった。作地周辺の海は、温泉の湧き出しで到るところ黄色く濁っていた。また、富立岳の真裏には海水を吸い上げているという落差３００ｍの滝が細い糸を垂らしていた。
　島の西側にまわると波も低くなり、上陸できそうなポイントが出てきたので、アカヅミと呼ばれる溶岩流の末端で船から降ろして貰う。船の先端から岩に飛び移り、しばし溶岩と格闘して平坦地まで這い上がると、小さな岩峰が林立する不思議な光景が広がった。足元は柔らかい砂で、サクサクと処女地を歩く感触が伝わってくる。遠くに見える御岳を目指して、好きなところを歩ける気分は最高である。このアカヅミから伸び上がる緩斜面には、マルバサツキの群落があり、この薄紫色の花が満開になる４月は溶岩流全体がピンク色になり圧巻だという。
　岩林帯を過ぎると大きな谷が口を開け、硫黄臭い水が流れていた。谷の向こう側に何か白いものが動いているので良くみると野生のヤギであった。谷を越すとあとは難しいところはなく、御岳を目指して登って行けば良い。ただ、頂上直下は急な崖となっているので、地図と睨めっこしながらルートを探していく。結局、一旦古岳の火口湖に出てからチムニーの基部に辿り着いた。
　この日のカルデラの中は完全にガスがとれ、火口からジェット噴射のように吹き出る水蒸気まではっきりと見ることができた。彼方には富立岳がスクッと立ち、水平線の向こうにはトカラ列島の最高峰である中之島の御岳が、均整のとれた裾野を引いて霞んでいる。思わず溜め息がでるような光景を、日が西に傾き出すまでホロホロと見とれていた。

温泉三味の中之島

　再び宝島折り返しの「としま」に乗り、今度は中之島へと渡った。中之島はトカラ列島最大の島で、ここにはトカラ列島の最高峰、御岳(９７９ｍ)がある。しかしここでも悪石島と同じ憂き目に逢うことになった。つまり、御岳の８合目に作られたテレビ中継所のお陰で、私が持参した地図に載っているかつての登山道は消え去り、無粋な登山道路が這い摺りまわっていたのである。ただ、道路は８合目でかろうじて止まっているので、山頂一帯はまだ自然のままに保たれているそうだ。
　だが最初の２日間、肝心の御岳はまるで姿を見せてくれなかった。周囲は晴れているのに御岳の上にだけ厚い笠雲がすっぽりと覆っている。気持ちは焦るが天気ばかりはどうにもならない。しかたなく２日かけて徒歩で島を一周した。
　島の中央部には平坦な台地があり、ここには足の短い独特の格好をしたトカラ馬が放牧されていた。島の東端のヤルセ岬もなかなかの風情だが、この島で一番良かったのはなんといっても温泉。港の岸壁に沿って２つの共同湯があり一日中入り放題である。ちょっと汗を掻いたといっては入りで、まったく湯治に来ているようであった。
　夜の船で鹿児島へ帰る最終日、御岳がようやく姿をみせてくれた。５時に宿を出発して登山道路をひたすら登る。クルリクルリとカーブを描く道路を歩いていくと、いつまでたっても同じ場所に止まっているようだ。
　陽が上がって長い影ができる頃に道路の終点に到着。この少し手前から登山道が竹薮の中に入っている。この竹薮は山頂直下まで続いていて、展望はお預けのままだ。竹の高さがだんだん低くなっていくと、小さなアンテナ小屋が見えてきて、その後ろに高山的な雰囲気のする山頂が広がっていた。良くみるとコケモモなども生えている。
　山頂につくと御岳の三角の影がコバルトブルーの海に落ちている。しばらく休憩し、それから山頂の火口をぐるりと回る。周囲およそ１ｋｍ。火口の中心に降りてみると、泥火山がヌラヌラした帽子を盛んに持ち上げ、火口壁のところどころからは白い水蒸気が吹き上げて、噴気口の回りに黄色い硫黄の結晶を作っている。火口内部は窪地状のため、亜硫酸ガスが溜まりそうなのでそうそうに立ち去った。
　御岳を辞した後、またまた温泉に入り、旅の垢をすっかり洗い落としてから、鹿児島行きの「としま」へと身を委ねた。

　トカラ列島。観光の魔の手が一切入っていない原始の自然、ここには書ききれなかったが出会った温かい島の人たち、ここに私はパラダイスを見つけた。しかし高速船の開通をはじめ、開発の波はここにも押し寄せてきている。すでに登山の対象となる山は口之島と諏訪之瀬島だけになってしまったが、開発の波が島に波及するまえにもう一度、登り残したあの富立岳のためにも訪れてみたい。

(３年２月２７日～３月１１日)

《参考タイム》
〇悪石島・御岳
港＝10分＝登山道路分岐＝１時間30分＝御岳＝１時間＝ノンゼ岬分岐＝１時間＝ノンゼ岬＝１時間30分＝村落
〇諏訪之瀬島・御岳
村落＝２時間＝山頂＝１時間40分＝ヤギノ耳＝１時間50分＝山頂＝１時間30分＝村落アカヅミ＝２時間＝古岳火口＝１時間＝山頂〇中之島・御岳
村落＝１時間30分＝山頂＝１時間＝火口一周＝１時間＝村落
〈地図〉２万５千＝悪石島　諏訪之瀬島　中之島

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